釼(クシロ)と釼(ツルギ)

1)はじめに

 

「釼」の字は「つるぎ」と読む時と「くしろ」と読む時があります。 『古事記』諸本の底本で現存最古の完本である真福寺本『古事記』影印本原文では「つるぎ」も「くしろ」も同じ「釼」の字を使っています。 『萬葉集』諸本の底本とされる西本願寺本『萬葉集』影印本原文でも「釼」の字が使われています。 『萬葉集註釈』を著わした鎌倉時代の仙覚は、「釼」の字すべてに「タチ」とか「ツルギ」とかの読みをつけていますが、江戸時代の橘千蔭は『萬葉集略解』を著わし、三首の「釼」を「釧 くしろ」に訂正しています。

2)『古事記』の「釼」

 

「釼」は「つるぎ」と読まれることが多く、真福寺本『古事記』では、「剣 劔」の字は使われておらず、読みカナも付いていないのですが、仁徳記の「くしろ」と読むべきだとされる箇所以外では、「釼」は「刀剣 たち つるぎ」と考えられています。

ア)仁徳天皇条の玉釼(たまくしろ)

真福寺本『古事記』仁徳記で「釼」を「くしろ」と読むべきとされるのは、次の箇所です―仁徳天皇は異母妹の女鳥王を殺すために軍を興し、その軍の将軍は女鳥王を殺した時、女鳥王の御手に纏かせる「玉釼」を取って自分の妻に与えます。妻はその「玉釼」を手に纏って豊楽に参加し、その「玉釼」が女鳥王から奪ったものだと露見し、将軍は死刑になります。

真福寺本影印本原文で「玉釼」と表記される語は注釈書では「たまくしろ」と読まれており、「玉釼」は「玉釧 たまくしろ」と表記されることもよくあります。 真福寺本『古事記』は文永三年(1266)に書写した本を祖本とすると考えられています。

 

イ)前田本『古事記』の「玉釵」

 

真福寺本『古事記』仁徳記で「釼」と表記される箇所が、大永二年(1522)の奥書がある前田本『古事記』では「釵」の字になり、「カンサシ」と振りカナが付いています。 これでは、手に「玉釵 玉カンサシ」を巻くという奇妙な文になります。 「釵 カンサシ」と「釼 クシロ」と「釧 クシロ」を混同した結果だと思われます。

3)西本願寺本『萬葉集』の「釼」

 

西本願寺本『萬葉集』影印本原文には、剣や劔の字は無く、「釼」の字だけが使われており、大抵は「つるぎ」と訓読されていますが、「釧 くしろ」の誤りとされる歌が三首あります。

巻一41番 (くしろ)つく(たふ)()(さき)今日(けふ)もかも大宮人(おほみやひと)(たま)()刈るらむ (岩波書店版訓読)

 

*註釈「くしろ」は腕輪。手首に装着するので「手節(たふし)」の枕詞とした。

巻一41番 (タチ)(ハキノ)手節(タフシ)()崎二(サキニ)(ケフ)毛可(モカ)()大宮人(オホミヤヒト)()玉藻(タマモ)(カル)()() (西本願寺本影印本原文)

 

*「釼着」は「たちはきの」と訓読されています

巻十二2865番 玉釧(たまくしろ)まき()る妹もあらばこそ()の長けくも嬉しかるべき(岩波書店版)

 

巻十二3148番 玉釧(たまくしろ)まき()し妹を月も経ず置きてや超えむこの山の(くき) (岩波書店版)

3148番 玉釼(タマツルキ)(マキ)寝志(ネシ)(イモ)()月毛(ツキモ)不経(ヘス)置而八(ヲキテヤ)(コエム)此山(コノヤマノ)(クキ) (西本願寺本影印本原文)

 

2865番と3148番の西本願寺本影印本原文で「玉釼」は「タマツルギ」と訓読。

 

4)『播磨国風土記』の「釼」

 

『播磨国風土記』には賀古郡と揖保郡揖保里と讃容郡中川里に「釼」の字が使ってあり、諸本では、全部「つるぎ」と読まれています。 しかし私は賀古郡の「釼」は「くしろ」と読むべきだと考えております。 賀古郡の「釼」については、自著「玉縵と玉釼」で、ここの「釼」は「玉釼 たまくしろ」を意味していると論じていて、今もその考えは正しいと思っていますが、「之」の字の用法について再考して、また新しく書きたいと思っています。

 

5)『日本書紀』の「釼」

 

私は『『日本書紀』の天照大神とスサノオ尊の「誓約 ウケヒ」で三女神が生まれる場面では「釼」の字が「クシロ」と読まれるべきだと考えます。詳しくはホームページ https://tamakazari.jimdofree.com 「釼から誕生した三女神」に書いております。 

 

6)「釼」はなぜ「クシロ 釧」と読む時があるのか?

 

この答えは中国から「釵釧」という語句が入ってきた時に「釵 かんざし」と「釧 くしろ」を取り違えて、「釵」を「クシロ」と読み、「釧」を「カムサシ カムサキ」と読んだことに原因があると思います。 『類聚名義抄』では「釧 ヒジマキ タマキ タママキ ヒジノカサリ カムサシ カムサキ タタラ」とあり、「釧」と「釵」が混同されています。

 

7)「釼」の謎

『新撰字鏡』天治本は「釼 環也 玔也」、「釵 笄也 女具也 錜也 波佐弥也」と注釈し、『新撰字鏡』群書類聚集では、「釼 笄也 女具也 錜也 波佐弥也」と注釈しています。 天治本は原本成立後二百年以上を経た天治元年(1124)の書写で、「釼」と「釵」は別の字で意味も違っていますが、江戸時代の群書類聚集では「釼」=「釵」になっています。

 

なぜ「釼」という国字から「環タマキ 玔ヒジマキ」の意味が消え、「刀剣 劔ツルギ」の意味に使われているのか? この「釼」の謎を考え続けていこうと思っています。