1)「八尺勾玉」の秘密
「剣璽等承継の儀」で受け継がれた「勾玉」は箱に入ったままで、中を見た人はいないそうです。 古事記では八尺勾璁(ヤサカノマガタマ)、日本書紀では八坂瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)と表記される、天孫降臨以来承継された「勾玉」にはどんな秘密が隠されているのでしょうか?
左、奥才34号墳 碧玉製勾玉
古墳時代前期(4世紀)
島根.松江市教育委員会
上中央、上野1号墳 メノウ製勾玉
古墳時代前期(4世紀)
島根県埋蔵文化財センター
下段、ヒスイ製勾玉.碧玉製管玉
老司古墳 古墳時代中期(4世紀)
福岡市埋蔵文化財センター
(2019年九州国立博物館図録より)
2)「八尺勾璁之五百津之ミスマル珠」と「八坂瓊之五百箇御統(ミスマル)」
記紀の天照大神とスサノオ尊のウケヒ(誓約)の場面や、天照大神の天の岩戸隠れの場面を、幾度も読んでいながら、今初めて気付いたことがあります。それは、天照大神が頭や腕に巻き付けていた古事記の「八尺勾璁之五百津之ミスマル珠」と日本書紀本文の「八坂瓊之五百箇ミスマル」の違いについてです。記紀共に同じような状況設定になっているので、「大きい勾玉と五百箇の玉を緒で連ねた玉飾り」の少し異なる表記だと思っていましたが、間違っていました。 古事記の玉飾りは「大きい勾玉と数多くの玉を緒につないだもの」ですが、日本書紀本文の玉飾りには「勾玉」が無く、「大きな玉を数多く緒に連ねたもの」です。 大きな「勾玉」を意味する「八坂瓊曲玉」は日本書紀の本文ではなく、神代六段、七段、九段の一書に出てきます。
*(古事記は本文だけで構成されていますが、日本書紀神代は本文と数多くの一書で構成されています。)
この玉飾りは姫路市の宮山古墳から出土しました。私はこれこそ天照大神が頭3か所、手2か所に巻き付けていた「ヤサカ勾玉と五百箇のミスマル珠」にそっくりだと思って、自著の表紙に使いました。この写真以外に、翡翠勾玉一個にガラス玉が500個ほど緒に連なった玉飾りが手に巻いたままの状態で出土したそうです。
3)古事記の「八尺勾璁之五百津之ミスマル珠」
古事記では、天照大神はスサノオ尊が天上に上ってきた時、「八尺勾璁之五百津之ミスマル珠」を頭3か所、腕2か所に巻き付け、武装して迎え受けます。スサノオ尊に悪意がないことを示すためにウケヒ(誓約)をします。スサノオ尊は天照大神が左のミヅラに巻いていた「八尺勾玉と五百のミスマルの珠」を貰い受け、それを噛んで吐いた息から、天皇家の祖先神が誕生します。頭3か所、腕2か所に巻き付けていた玉飾りを次々と噛んでは吐き、噛んでは吐いて五柱の男神が生まれます。その後、ウケヒに勝ったスサノオ尊が狼藉を働いたので、天照大神は天の岩戸に隠れ、世は暗闇になります。天照大神を岩戸から招き出すために、玉祖命に命じて「八尺勾璁と五百のミスマルの珠」を作らせ、それを賢木の枝に取り付け、その前で天ウズメが踊り、神々が笑ったので、天照大神は何事かと天の岩戸を少し開けたところを力の強い神に手を引っ張られて出てきます。
この時に玉祖命が作った「八尺勾璁」を天孫ホノニニギノミコトに副えて天降りさせます。
奈良県橿原市 新沢千塚500号墳 メノウ.水晶.ヒスイ製勾玉 (奈良県立橿原考古学研究所付属博物館蔵)
2017年 古代歴史文化協議会「古墳時代の玉飾りの世界」図録
4)日本書紀の「八坂瓊曲玉」
日本書紀神代六段の一書には、スサノオ尊が羽明玉神から奉納された「八坂瓊曲玉」を持って、天上の天照大神に献上しに来る話があります。 天照大神に疑われたスサノオ尊は、悪意がないことを示すためにウケヒをします。 先に、天照大神がその「八坂瓊曲玉」をもらって噛み砕き、吐いた息から三柱の女神が誕生します。この女神達は九州の宗像神社に祀られています。 また、神代七段の一書には、天照大神が天の岩戸に閉じこもった時に、イザナギ尊の児の天明玉が「八坂瓊之曲玉」を作って、木の下枝に懸けたという話があります。また、神代九段の一書には、天照大神はアマツヒコヒコホノニニギノミコト(天津彦々火瓊々杵尊)が天降る時、「八坂瓊曲玉」を副えたという話があります。
出雲大社境内遺跡 玉類 古墳時代中期(4~5世紀)
出雲大社境内の中心部で、多量の土器とともに良質なメノウ製勾玉と蛇紋岩製勾玉.滑石製臼珠玉が出土した。これらは境内での祭祀が古墳時代には始まっていたことを物語る。
(九州国立博物館特集展示「玉ー古代を彩る至宝」2019年図録)
宇木汲田遺跡 ヒスイ製勾玉.
弥生時代(紀元前2世紀~紀元後1世紀)
佐賀県立博物館 佐賀県重要文化財
縄文時代の系譜を受け継ぐ多様な形の勾玉とともに、古墳時代に継承される規格化した勾玉(写真右上)も含む。
2019年九州国立博物館特集展示「玉のすすめ」
図録より
5)「八尺勾璁」、「八坂瓊曲玉」はどんな勾玉?
「八尺」=「八坂」=「大きい」。 「勾璁」=「曲玉」=「勾玉」。 「瓊」はどんな意味でしょうか?
『大漢語林』で調べると、【瓊ケイ ギョウ(1)たま。に(特に赤い玉の意味の古語)。(ア)美しい玉。玉の美しい色。(イ)赤い玉。(ウ)美しいもののたとえ。】
「八坂瓊曲玉」は「大きな赤い勾玉」と思っていたら、次のような越後国風土記逸文に出会いました。
【八坂丹とは玉の名なり。玉の色の青きを謂ふ。故、青八坂丹の玉といふ。】小学館版の風土記〈越の国〉の校注によれば、「八坂丹」は「八尺瓊」の意の当て字であろう。八尺は実大を言ったものではなく大きいという意。「瓊」は「に」あるいは「ぬ」と言い、玉の中でも翡翠(ヒスイ)などの特殊な玉の呼称。「青八坂丹玉」とは宝玉の中でも特に翡翠をいうと限定したもの。新潟県糸魚川市を流れる姫川は古代には沼名河と呼ばれた。「瓊な川」(宝玉の川)の意。この姫川の上流域は日本で唯一の翡翠原石の産地。
「八尺勾璁」、「八坂瓊曲玉」とはどんな勾玉でしょうか? 赤い大きな勾玉でしょうか? 青いヒスイの大きな勾玉でしょうか? どのくらい大きく、どんな美しい色の勾玉を、ニニギノミコト(瓊々杵尊)が降臨されて以来ずうっと箱を開けることもなく、天皇家は受け継いでいらっしゃるのでしょうか?