釼(玉くしろ)から誕生した三女神

左は沖ノ島に奉納された玉飾り(宗像大社神宝館図録より)

中央は日本最古の古事記写本、真福寺本古事記の複製本を撮影。

右は玉飾りをつけた天照大神とスサノオ尊を模した手作りの人形。

1)はじめに

令和元年九月に世界遺産の宗像大社辺津宮に行きました。辺津宮は九州博多から電車とバスに乗って一時間ほどかかりました。宗像大社沖津宮は九州本土から約60㎞離れた沖ノ島にあり、そこには、日本列島、朝鮮半島、中国大陸の交流に伴い、4世紀後半から9世紀まで続いた、航海安全に関わる古代祭祀遺跡が残されています。沖ノ島は立ち入り禁止ですが、見つかった奉献品8万点は国宝として辺津宮境内にある神宝館に展示されています。宗像大社中津宮は本土近くの大島にあり、そこへは船に乗って行くことができます。

 

2) 宗像大社で祀る三女神

「宗像大社は天照大神の三柱の御子神をおまつりしています」と由緒にはあり、沖津宮、中津宮、辺津宮の御祭神の姫神の名が記してあります。しかし、古事記、日本書紀に書かれている、天照大神とスサノオ尊の誓約(うけひ、宇気比)で三女神が生まれたという有名な神話については全く触れられていません。何故だろう?と考えながら記紀を読み直していて気が付きました。謎解きの鍵は「釼」にあります。

 

3)「釼」の謎

古事記、日本書紀によると、宗像三女神は天照大神とスサノオ尊の誓約(うけひ)の時に、「釼」を噛み砕き、吹き捨てる息の霧から誕生したとされています。(日本書紀の一書には、曲玉から誕生ともあります。)「釼」の字は一般的に「つるぎ」と読まれ、「剣、剱、」と表記されることもあるので、三柱の女神が剣から誕生したとは、神話といえども、あまりにも荒唐無稽で、神社では、その話を知られたくないので、由緒には書いていないのだと思います。でも「釼」は「つるぎ」のことでしょうか? 

 

4)「釼」=「環(たまき)」=「釧(くしろ)」=「玉釼(たまくしろ)

「釼」の字は日本で創られた国字です。十三巻もある諸橋『大漢和辞典』にも載っていない字です。でも日本の古い辞書『新撰字鏡』(天治本)には「釼 環也」と載っています。この天照大神とスサノオ尊の誓約(うけひ)の場面の「釼」は「珠玉を緒に連ねて手や腕に巻く玉くしろ」を意味しています。では「十握釼」とはどんな玉飾りでしょうか? 一握は、小指から人差し指までの幅なので、「十握釼」は80㎝~100㎝ほどの長さの、腕に何重にも巻ける玉釼(たまくしろ)のことです。古事記と日本書紀正文では、「十握釼(十拳釼)」をスサノオ尊が身に帯びています。日本書紀の一書①③では、天照大神が「十握釼、九握釼、八握釼」を身に帯びています。宗像三女神は、これらの長い、手や腕に巻く「玉飾り」から誕生しました。

 

5)結論 玉から誕生した三女神

天照大神の御子神といわれる宗像大社の三女神は古事記と日本書紀正文ではスサノオ尊が身に帯びていた長い玉釼(たまくしろ)を天照大神がもらい受け、『ぬなとももゆらに(玉の音もさやかに)』天の眞名井に振りすすいで、さがみに噛んで、吹き捨てる息の霧から誕生しました。日本書紀一書①③では天照大神が身に帯びていた長い玉釼を天照大神自身が食して三女神が誕生しました。日本書紀一書②では、スサノオ尊が天照大神に献上しようと持ってきた八坂瓊の曲玉を天照大神がもらい受け、それを噛んで、吹き捨てる息の霧から三女神が誕生しました。どの場合でも全部、天照大神が「玉」を噛んで吹き捨てる息の霧から三女神が誕生しました。

 

 

(註)『古事記』は日本最古の古事記写本、真福寺本古事記の複製本、『日本書紀』は熱田神宮編の写本、熱田本日本書紀の複製本を参照しました。どちらの本も「釼」の字をこの場面には使っています。

 

 

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