大神と呼ばれる女神

1)はじめに

『播磨国風土記』には大神と呼ばれる女神たちのことが書いてあります。 その「大神」と呼ばれる女神について考えてみたいと思います。

 

2)出雲御蔭大神

揖保郡では、出雲御蔭大神(出雲之大神)が枚方里 神尾山に居て、通行人の半分を殺します。 それは比古神が先に来て、比売神が後に来たら、男神は此処に鎮まることなく他所に去って行ったので、怒った女神が出雲からの通行人、十人中五人を殺すようになりました。 このことから、出雲御蔭大神(出雲之大神)は女神(比売神)だとわかります。

 

3)宗形大神

託賀郡 袁布山の地名由来には、宗形大神 奥津嶋比売命が伊和大神の子を妊娠中に此の山に来て、私の妊娠の時は(をふ)(終わった)と云ったので、()()と云う名になったとあります。 もちろん、子を孕む宗形大神 奥津嶋比売命は女神です。

 

上記の、出雲御蔭大神と宗形大神の二柱は、大神と呼ばれる女神であることが明らかですが、讃容郡の「大神」を「女神」と考える人は殆んどいないようです。

 

4)讃容郡の「大神」は誰?

讃容郡の「大神」について、「伊和大神だ」、「否、別の神だ」と論じられていますが、私は讃容郡に5度出てくる「大神」について、登場順に①男女神二柱、②男神、③女神、④男神、⑤男女神二柱、であると考えます。 

 

 A)冒頭の「大神」①は「妹大神と妋大神の二柱」

讃容郡の始めに〔大神妹妋二柱各競占国之時(大神(おほかみ)妹妋(いもせ)二柱(ふたはしら)が各々競いて国を占める時)と書いてあります。 だから、冒頭の「大神」妹妋二柱です。 続いて、〔妹玉津日女命〕と書いてあるので、神の名は玉津日女命です。 その玉津日女命が生きた鹿の腹を割いて、稲をその血に播いたら、一夜のうちに苗が生えたので、その苗を植えました。 

 

 B)大神②は「妋大神(伊和大神)」

妹大神玉津日女命が一夜のうちに生えた苗を植えたところ、〔「()(にも)()()に植えたか!」と大神おっしゃった。大神勅云汝妹者五月夜殖哉) 玉津日女命に‘汝妹’と呼びかける「大神」妋大神です。 妋大神の名は不明ですが、伊和大神と推定されす。 その伊和大神は国占め争いに負けて、他所に去って行きます。 妹大神玉津日女命は()()に稲を植えたので、賛用(さよ)()比売(ひめ)(佐用都比売命)と名づけられました。 

 

 C)玉を落した「大神」③は「玉津日女命」

〔吉川 本の名は玉落川 「大神」の玉が此の川に落ちたので、玉落と云う。(吉川 本名玉落川 大神之玉落於此川故曰玉落)〕 この吉川に玉を落とされた「大神」③は「玉津日女命」です。 伊和大神は国占争いに負けて去って行き、もう讃容郡にはおられません。

 

 D)出雲国より来た「大神」④は誰?

〔柏原里筌戸に出雲国より「大神」が来た時(柏原里 筌戸 大神従出雲国来時)〕 この「大神」④は、「伊和大神」、「出雲国阿菩大神」、または、「出雲御蔭大神の妋神」と考えられます。 「大神」④は筌に入った鹿を鱠にして食べようとして、口に入らず落してしまい、此処を去り他所へ行きます。

 

 E)雲濃里の「大神」⑤は「玉津日女命と伊和大神」

〔雲濃里 「大神」の御子‘玉タラシヒコ、玉タラシヒメ命’が生んだ子供は大石命です。 (大神之子 玉足日子玉足比売命 生子 大石命)〕 

 この「大神」⑤は「大神妹妋二柱(玉津日女命と伊和大神)」です。 母神の「玉津日女命」の「玉」の字をもらって、子神の名は‘玉タラシヒコ、玉タラシヒメ命’となっています。 そこで、孫神の名は、父神の「伊和大神」にちなみ、大石命と命名したようです。 何故なら、伊和大神の御子神には、石龍比古命、石龍比売命、建石敷命など、「石」と関連する名前が多くあります。 また、宍禾郡の‘石作’里の本の名は‘伊和’と云われており、「石」と「伊和」は深い関係があるようです。

 

*{雲濃里の地名説話の全文〔雲濃(うぬ)里 大神の子玉足日子玉足比売命が生んだ子は大石命です。 此の子は父の心にかなったので「(有怒)うぬ」と賛意を表しました。 それで、里の名を「(雲濃)うぬ」と云います。(此子稱於父心 故曰 有怒(うぬ))〕

 

5) 天照大神

賀毛郡 山田里 猪飼野の地名説話に天照大神が登場します。 〔猪飼野と云うのは、難波高津宮天皇の世に日向の肥人 朝戸君が、天照大神が坐す舟に猪を持ち来て進上し、飼う所を求め、此処を賜って、猪を放ち飼った。 故に、猪飼野と云う。〕 「天照大神が坐す舟」とは、天照大神が乗船されていたのでしょうか? (天照大神を船に祀っていたとの説もあります。) 『古事記』『日本書紀』では、宗形大神奥津嶋比売命は、天照大神とスサノオ命のウケヒで誕生して、九州の沖ノ島に祀られています。 『播磨国風土記』では、宗形大神奥津嶋比売命は託賀郡 袁布山に来られます。 天照大神も九州の日向におられて、肥人と共に船で賀毛郡に来られたのでしょうか?

 

6)大稲女玉帯志比売

最後に、大神とは書いてありませんが、美嚢郡 高野里 祝田社に坐す「大稲女(おほいなめ)玉帯志(たまたらし)比売(ひめ)を紹介したいと思います。 ()()郡で、()月夜()を植えた妹大神玉津日女命子の玉足比売命を合体したような、大稲女玉帯志比売は「大神」と呼ぶにふさわしい女神だと思います。(原文の区切り方が異なり、「大稲女玉帯志比売」と読む解釈本は、私の知る限りではありません。) ここに原文と、私が正解と信じる区切り方での口語訳を記します。

原文〔高野里坐於祝田社神玉帯志比古大稲女玉帯志比売豊稲女〕

口語訳〔高野里 祝田社に坐す 神玉帯志比古 大稲女玉帯志比売 豊稲女〕

 

讃容郡 鍬柄川の地名説話に〔神日子命が鍬の柄を此の山で採るように命令したから、其の山の川を鍬柄川と云う〕と書いてあります。 この「神日子命」と、玉津日女命の御子「玉足日子」を合体したような「(かみ)玉帯(たまたら)()()()」も讃容郡出身の神様のように思われます。

 

注{私は、祝田社に坐すのは三柱①神玉帯志比古 ②大稲女玉帯志比売 ③豊稲女とします。 諸本では、これを二柱の神 1⃣玉帯志比古大稲女  2⃣玉帯志比売豊稲女 とします。}

 

7) おわりに

『播磨国風土記』には、「大神と呼ばれる女神」が多数おられます。 ただ単に「大神」とだけ呼ばれる神様に、讃容郡の女神、「玉津日女命」がおられます。 

 

()()は、()月夜()に稲を植えた賛用(さよ)()比売(ひめ)命とも呼ばれる妹大神、玉津(たまつ)日女(ひめ)が支配する「稲と玉です。 男神は国占めや食べ物の獲得に敗れて他所に去って行きました だから此処では、単に「大神」と呼ばれる神「玉津日女命」を指す場合もあります   「玉」と云えば、玉津日女命が吉川に落とした玉は、髪飾りの玉でしょうか? 美加都岐原(みかづき原)の地名説話には、手足に玉を巻く大臣の娘の話も出ています。) 

 

「大神」と云えば、男神しか思いつかない方々に、「女神」の「大神」のことを知っていただきたいと願い、この文を書きました。

 

 

    2017113日  孝橋明子

 

 

 

 

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